オランダ・駆け足年表



オランダという国はヨーロッパの中でも特殊な国である、とよく言われる。
その為なぜ特殊なのかという背景を知る為にはオランダの歴史を参照する必要がある。
オランダに限らず陸続きの国々は常に併合分離を繰り返していた。その上大航海時代にはアジアやアメリカまで領土を拡大している。その為、対外関係歴史も参照することなる。
しかし、ローマ帝国やハプスブルグ家等は広大な領土を支配していたし、オランダ総督がイギリス国王になったり、どこまで対外かを判別するのが難しい。またゲルマン民族の定義も枝分かれが多く難しいものがある。不明な点はウィキペディア等で調べてください。

ネーデルランドは初期は低地地方と呼ばれ、現在のベネルクスと大雑把に考えて頂ければいいと思います。
B.C.50年代: 低地地方、ローマに征服される。

47年頃: ローマ帝国の要塞の一つがユトレヒトの起原となる。
ユトレヒト以北はゲルマン系民族(バタヴィア人、フリース人等)、以南はローマの領土と言われる

69〜70年: バタヴィアの反乱(ゲルマニア軍の反乱のうちの、オランダ地域の反乱)

270年頃: ローマ軍、ユトレヒト放棄

395年: ローマ帝国東西分裂。西ローマ帝国成立

476年: 西ローマ帝国滅亡

482年頃: フランク王国成立
フランク王国メロビング朝初代の王、クロヴィス(466頃〜511)がキリスト教の為、キリスト教が広まっていく

695年: ユトレヒト司教ウィリブロルドゥス (Willibrordus) 、フリジアの大司教に任命される

703年: ヘルスタルのピピン2世、ユトレヒトを領地としてウィリブロルドゥスに与える。
ユトレヒトが周辺地域のキリスト教の中心地(司教座)となり、ユトレヒトがオランダに影響力を持つ都市となる。

843年: ヴェルダン条約により分裂。中部フランク王国に

870年: メルセン条約が結ばれ、中部フランクから東フランク王国領へ

1100頃〜: 最初の風車がフランスとイギリスにあらわれ、ヨーロッパ中に広がる

1122年: ユトレヒトが都市の資格を得る

1200年頃〜: 干拓史の幕開け。ユトレヒト司教やオランダの聖職者達の主導により、現在のアムステルダム、ライデン、ユトレヒトあたりでポルダー造成技術による干拓が始まる。

1200年後半頃: 時の領主がハーレムの住民に粉挽き用に風車を許可。オランダ風車史の幕開け

1300年頃〜: ハリング(北海のにしん)を塩漬けにする保存方法が開発され、各国に販売。富が蓄積される

1300年〜: イタリアでルネサンス始まる(14世紀-16世紀)

1301年: アムステルダム、自由都市の資格を得る

1321年〜1382年: オランダで一番高い教会塔で有名な、ユトレヒトのドム塔が建てられる。当時はカトリック。

1363年: フランス王家のフィリップ豪胆王がブルゴーニュ公国を授与されてフルゴーニュ家が始まる

1369年: アムステルダム、ハンザ同盟に加盟。貿易でますます発展するようになる。

1400年頃〜: フランドル・ルネサンス。ファン・エイク兄弟などを輩出

1400年頃〜: 大規模な洪水の被害から、抵地の灌漑用としての風車が考案され出現する

1437年: オランダ、数々の海戦を行いハンザ同盟を打ち破る

1464年: フィリップ善良公、全国議会の召集を行う。ブルゴーニュ統治下の低地各州から州議会の代表をブルージュに召集。
このとき初めて低地地方が一つの政治体制の元にまとまる。

1473年: シャルル突進公、内紛に乗じて低地地方北部のヘルダーランドを乗っ取る

1477年: ブルゴーニュ家、事実上断絶

1509年: エラスムス、『痴愚神礼賛』

1516年: エラスムス、ブルゴーニュ公カール(後のカール5世)の名誉参議官に任命される

1516年: シャルル突進公の孫で、フィリップ端麗公の長子のブルゴーニュ公カール、スペイン王位を継承してカルロス1世となる

1517年: ルターの「95ヶ条の論題」。ドイツの宗教改革始まる

1519年: カール、ハプスブルグ家の当主として神聖ローマ帝国皇帝に。カール5世を名乗る

1525年: ブリューゲル誕生(〜1569年)

1528年: カール5世、ネーデルラント17州の領主となる。世俗権力が教会からカール5世へと移行

1540年ごろ: カルヴァン派、流入し始める。

1543年: カール5世、ヘルダーランド統合。

1555年: カール5世退位。低地地方の統治をフェリペ(後のフェリペ2世)に委ねる

1556年: スペイン王になったフェリペ2世、領土を相続。

1560年頃: カルヴァン派、低地地方に拡大。

1566年4月5日: フイゼン(独:ゴイセン。和:乞食党)の始まり。

1566年8月: フランドルでカルヴァン派による「聖像破壊運動」発生

1567年8月: アルバ公、血の法廷を開始

1568年6月: 血の法廷により、ネーデルランドの領伯エグモントとホールネ処刑される

1568年: 八十年戦争(オランダ独立戦争)始まる。

1572年2月: ワーター・フイゼン(海乞食)、ホラント州の島デン・リブレを占拠。

1572年12月: スペイン軍、ハーレム市包囲

1573年7月: ハーレム降伏

1573年: スペイン軍、アルマーク市包囲。反乱側の堤防決壊作戦計画を知り、スペイン軍撤退

1573年11月: フェリペ2世、アルバ公を解任

1574年4月: スペイン軍、ライデン包囲

1574年10月: ライデンの英雄的抵抗。
ライデン市民の抵抗とオラニエ公ヴィレムの堤防決壊洪水作戦で、スペイン軍をライデンから撃退することに成功。
洪水防衛とウォーターラインの始まり

1575年: オラニエ公ヴィレム、ライデン大学の創立許可

1576年11月8日: ヘントの和約(ゲントの平和、ガンの平和)

1577年7月: スペイン軍、ナミュール城占領

1577年10月: 十八人委員会成立

1578年1月: スペイン軍、全国議会軍撃破

1578年7月: フランドルのカルヴァン派と、カトリック寄りのワロン諸州間に内乱勃発。
オラニエ公「宗教平和」を提唱して新・旧両宗派の平等を提唱したが不発。

1578年10月: スペイン側執政パルマ公、ワロン諸州に講和を提案する

1579年1月6日: ワロン諸州、アラス同盟を結成

1579年1月23日: オラニエ公、ユトレヒト同盟を結成

1579年5月: ドイツ皇帝ルードヴィヒ2世とローマ教皇グレゴリウス13世の仲介で、議会ースペイン国王間の和平交渉開始。

1579年7月: ワロン諸州、全国議会から離脱。スペイン国王に忠誠を誓う

1579年11月: 和平交渉決裂

1580年3月: フローニンヘンとドレンテ、ユトレヒト同盟から脱落

1581年7月21日: 全国議会、フェリペ2世を廃位。ハプスブルグ家より独立、ネーデルランド共和国を建設

1583年1月: オランダに総督として招聘されたアンジュ公、フランス軍によるクーデターを起こしたが失敗。
フランス帰国。(フランス兵の狂暴)

1584年7月10日: オラニエ公ヴィレム暗殺される

1587年12月: オランダに次の総督として招聘されたイギリスのレスター伯もクーデターを起こし失敗。
オランダ執政を辞任してイギリス帰国。
海外招聘総督による二度のクーデターの経験に懲り、オランダは連邦共和制となる。

1588年8月: スペイン無敵艦隊の敗北。スペイン衰退の予兆

1592年: オランダ、アユタヤに使節を送り通商許可取得

1596年: オランダのオルデンバルネフェルト、フランス・イギリスとの間で三国同盟を成立

1598年: オランダ商人達の出資による船隊、モルッカ諸島のバンダン、アンボイナ到達。貿易取引に成功。

1600年: オランダ船・リーフデ号日本漂着

1602年: オランダ東インド会社を設立。オランダ海上帝國の始まり

1603年: オランダ、ジャワ島西部バンテンとパタニ王国に商館開設

1606年7月15日: レンブラント生まれる

1607年: ベームスター大干拓が始まる。この頃から風車が大量に建設されていく

1608年: アユタヤ、オランダ本国に外交使節派遣

1609年: オランダ、スペインと休戦

1609年: アムステルダム銀行設立

1612年: ベームスター、工事開始から5年の歳月を経て干拓成功。(現・世界遺産のベームスター干拓地)

1614年: ハドソン川河口にニュー・ネーデルランド植民地を開く。ニューアムステルダム(現ニューヨーク)を建設

1618年: 三十年戦争(〜1648年)。アムステルダムに商取引集中

1619年、オランダ、現インドネシアのジャワにバタヴィア(現インドネシア・ジャカルタ)を建設

1621年: 西インド会社を設立

1623年: 東インドでアンボイナ虐殺事件。オランダ、イギリスをモルッカ諸島から排除

1624年: オランダ、台湾を占領。さらに南下し、オーストラリア・ニュージーランド探検

1626年: オランダ、マナハッタン・インディアンから現在のニューヨーク・マンハッタン島を譲り受け、ニューアムステルダムを建設

1629年: オランダ王室の主導で、ユトレヒト州を中心に洪水線の建設はじまる。ホランド・ウォーターラインの原型。

1634年: チューリップ狂時代。トルコから伝わったチューリップが投機対象となり経済混乱を招く

1637年: チューリップの投機売買禁止を決定

1641年: オランダ商館平戸から長崎出島に移転

1641年: オランダ、ポルトガル領マラッカ占領

1648年: ウェストファリア条約で正式にオランダ独立が承認される

1651年: イングランド、航海条例を制定。オランダ船の締め出しを計る

1652年: オランダ、ケープ植民地(現南アフリカ喜望峰)建設

1652年: 第1回英蘭戦争(〜1654年)

1656年: オランダ、ポルトガル領コロンボ占領

1661年: 鄭成功、台湾を占領。オランダ、台湾から撤退

1664年: ニューアムステルダムをイギリスに占領される

1665年: 第2回英蘭戦争(〜1667年)

1667年: 南ネーデルラント継承戦争(フランドル戦争)(〜1668年)

1672年: 第3回英蘭戦争(〜1674年)。1672年は「災厄の年」と呼ばれる。

1672年: オランダ侵略戦争(〜1678年)

1672年: フランス軍の進入に対しオールド・ホランド・ウォーターライン設定

1674年: オランダ総督ウィリアム、オールド・ホランド・ウォーターラインでフランス軍を追い返す

1679年: ナイメーヘンの和約

1688年: ファルツ戦争(対フランス,〜1697年)

1688年: 名誉革命。ウィレム、イギリス王位を乗っ取り反フランス同盟に参加させる

1701年: スペイン継承戦争

1704年: 第1次ジャワ戦争(〜08年)

1709年頃: オランダ、バンテン王国などを圧迫し、植民地化し始める

1719年: 第2次ジャワ戦争(〜1723年)

1740年: バタヴィアの華人反乱。オランダによる虐殺行われる

1740年: オーストリア継承戦争(〜1748年)

1749年: 第3次ジャワ戦争(〜1755年)

1760年: オランダ、東インドのアユタヤ商館閉鎖

1769年: 産業革命へ。イギリスのワット、新方式の蒸気機関を開発。後の工業化社会の原動力

1775年〜: アメリカ独立戦争

1789年7月14日: フランス革命(〜 1794年7月27日)
フランスのパリの民衆、バスチーユ襲撃。民衆による蜂起は、各国の君主に危機感を与える

1700年代末〜: アムステルダム、ゾイデル海が沈泥のために浅くなり船舶航行に影響。貿易に陰り

1793年1月21日: フランス国王ルイ16世処刑

1793年: 第一次対仏大同盟。ルイ16世処刑からヨーロッパ諸国に革命の脅威

1794年6月26日: フランス軍、ベルギーのモーボーグで偵察のため気球を利用。空の軍事利用の始まりと言われる

1794年冬〜:フランス軍、凍結した川を渡りオランダ各地の上陸に成功。

1795年: フランス革命軍によりオランダ陥落。バタヴィア共和国成立

1799年: ナポレオン、クーデターでフランスの政権を掌握

1799年12月31日: オランダ東インド会社解散。海外植民地をイギリスに接収される

1700年代後半: イギリスが機械の輸出始める。欧米に工業化の波

1804年: ナポレオン、皇帝を名のる

1805年10月: トラファルガーの海戦。ナポレオン、ネルソン提督ひきいるイギリス艦隊に破れ制海権を失う

1806年: ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトを国王とするホラント王国設立

1806年11月〜: ナポレオンの大陸封鎖。
大陸諸国にイギリスとの通商関係を断絶させる目的。アムステルダムの貿易にますます翳り

1808年8月: フェートン号事件

1810年: ホラント王国廃止。フランスに併合される。総督ルブランがアムステルダムに駐在

1811年: イギリス政府に命ぜられた英国東インド会社のラッフルズにジャワを占領される

1812年: 解放戦争(対フランス 〜1814年)

1813年: ナポレオン帝国が崩壊

1814年: オランダ、旧王家が復位。

1815年: ネーデルランド王国(オランダ王国)設立。ウィーン議定書によりオーストリア領ネーデルランド(現ベルギー)を合併。

1815年: イギリスにケープ植民地・セイロン島・トバコ島を譲渡

1815年: ルクセンブルグがオランダのウィリアム1世個人の所有地として譲渡される。

1815年: ニュー・ホランド・ウォーターラインの本格スタート

1816年: イギリスから東インドが返還される

1819年: オランダ、マラッカ(現マレーシア)をイギリスに譲渡

1824年: ロンドン条約。蘭領マラッカと引き換えに、英領ベンクーレンがオランダ領東インドに組み込まれる

1825年〜: ジャワ戦争

1830年: ジャワ島の大半がオランダの直接統治下となる。ジャワの諸王国領をジョクジャカルタなど王都の周辺に限定。

1830年: ベルギー分離独立

1833年: 西スマトラ州設立。オランダが西スマトラの大部分を占領する。

1839年: ルクセンブルグ独立

1848〜49年: イギリスやフランスで48年革命

1848年3月13日: 君主革命。
オランダ国王ウィレム2世、ウィーン革命勃発の日に、専制君主から自由主義君主に立場を変える

1849年: 改正憲法発布。ライデン大学教授トルベックの指導。

1858年: パドリ戦争。
オランダ、シアク王国の内紛に乗じて保護領化。さらに、東海岸の港市国家を武力で服属させる。

1860年頃〜: オランダでも産業革命が進展。労働者や下層市民の意識改革が進展

1861年4月: 南北戦争。
6月18日、気球「エンタープライズ」が高度150 mまで上がり、電信により偵察情報を地上に送る。空の軍事利用の本格化

1870年: 普仏戦争

1870年: ニュー・ホランド・ウォーターライン第1次動員

1873年: オランダ、アチェ侵攻

1880年6月24日: イギリス、気球部隊編成

1891年: イギリスとの交渉により、ボルネオ島南北分断。南側(現インドネシア領カリマンタン)が勢力圏となる。

1898年: オランダ、ウィルヘルミナ女王、18歳で親政を開始。以後50年女王の時代

1903年12月17日: アメリカのライト兄弟、飛行機で初の有人飛行に成功

1907年: アメリカでT型フォード発売

1909年6月20日: ドイツ陸軍で世界初の軍用飛行船(ツェッペリン)

1909年8月2日: アメリカで最初の軍用飛行機

1912年: オランダ、アチェ全土征服

1914年頃〜: アメリカ・フォードでライン生産方式始まる。工業製品の大量生産化

1914年6月28日: 第一次世界大戦勃発。オーストリア皇太子、フランツ・フェルディナンド暗殺による幕開け。

1914-1918年: ニュー・ホランド・ウォーターライン第2次動員

1915年2月19日〜: ドイツ、イギリス本土の爆撃に飛行船使用

1919年10月7日: オランダ、航空会社KLMが運航を開始

1919年: パリ講和会議、ヴェルサイユ条約

1922年: ワシントン会議

1927年5月20日〜21日: リンドバーグ、大西洋横断飛行に成功

1929年10月: 大恐慌

1930年: フランク・ホイットルがジェットエンジンの特許を取得

1930年: アムステルダム・ライン運河の工事始まる(〜1952年)

1932年: オランダの大堤防完成。ゾイデル海は北海と隔てられ、淡水のアイセル湖となる

1933年: ドイツ、ヒトラー首相に就任。全権委任法を制定、ワイマール憲法を停止

1934年: ヒトラー、大統領・首相・ナチス党首を兼ねた総統就任

1935年3月: ヒトラー、ヴェルサイユ条約破棄。再軍備宣言

1936年: ベルリン・オリンピック。ナチスのプロパガンダに利用される。

1936年: スペイン内戦。第二次世界大戦で使用されることになる兵器のテスト状態となる

1938年: ドイツ、オーストリアを併合

1939年4月28日: ドイツ、対ポーランド不可侵条約破棄

1939年8月23日: 独ソ不可侵条約。ポーランド分割へ

1939年8月25日: イギリス・フランス対ポーランド。相互援助条約調印

1939年9月1日早朝: ドイツ、ポーランド侵攻。第二次世界大戦始まる

1939年: ニュー・ホランド・ウォーターライン第三次動員

1940年4月: ドイツ、北欧侵攻。中立国のデンマークとノルウェーを占領

1940年5月10日: ドイツ、西方電撃戦開始。空挺部隊がベルギーのエバン・エマール要塞にグライダー降下。

1940年5月10日: ドイツ、オランダのロッテルダム空爆

1940年5月15日: オランダ、ドイツに降伏。政府はイギリスへ亡命。王室はカナダへ亡命

1940年5月28日: ベルギー、ドイツと休戦条約

1940年6月4日: イギリス、ダンケルクから撤退

1940年6月21日: フランス、ドイツに降伏

1940年7月10日: バトル・オブ・ブリテン。イギリスがドイツの侵攻を防ぐ(〜10月31日)

1941年6月22日: ドイツ、対ソビエト連邦侵攻作戦開始。(独ソ戦)

1941年8月: 大西洋憲章(Atlantic Charter)

1941年12月7日: 真珠湾攻撃(日本では12月8日)。太平洋戦争勃発

1941年12月11日: ドイツとイタリア、アメリカに宣戦布告

1942年3月: 日本軍、オランダ領東インドに侵攻。オランダを撃退し進駐

1942年6月: マンハッタン計画。

1943年 2月2日: スターリングラードにてドイツ、ソ連に破れる

1943年7月〜: ホロコーストの本格化

1943年9月3日: イタリア戦線。連合軍、イタリア上陸

1943年9月8日: イタリア、連合軍に対して休戦

1943年9月23日: ムッソリーニ、イタリア社会共和国(サロ共和国)設立(〜1945年4月27日)

1944年6月6日: ノルマンディー上陸作戦

1944年7月20日: ドイツ国内反乱分子によるヒトラー爆殺計画失敗

1944年8月25日: 連合軍、パリ開放

1944年9月4日: 連合軍、ベルギーのアントワープ解放

1944年9月17日: マーケット・ガーデン作戦開始。連合軍、オランダの奪還を計る

1944年9月25日: マーケット・ガーデン作戦失敗。連合軍撤退

1945年1月27日: ソ連、アウシュビッツ収容所開放

1944年12月16日: バルジの戦い

1945年1月23日: バルジの戦い終結。ドイツ、連合軍の反撃で作戦を停止

1945年2月: ヤルタ会談。後の東西冷戦の発端

1945年3月15日〜: ドイツ、春の目覚め作戦失敗。この後ヒトラーはベルリンの地下壕に引き篭もるようになる。

1945年4月16日〜17日: ドイツ、南北の防衛線を大幅に突破される

1945年4月後半: ソビエト軍、ベルリン包囲

1945年4月27日: ムッソリーニ、パルチザンに殺害される。「サロ共和国」消滅

1945年4月30日: ヒトラー自殺

1945年5月5日: オランダ、ドイツの占領下から解放される

1945年5月7日: ドイツ、連合軍に無条件降伏

1945年5月8日: ドイツ、ソ連に無条件降伏。ヨーロッパでの戦争終結

1945年7月16日: アメリカ、原爆実験を実施

1945年7月17日: ポツダム会談

1945年8月6日: アメリカ、広島に原子爆弾を投下
しかhし日本は原爆投下前に既に降伏を申し入れていたが、アメリカが現地実験のために無視したという説が浮上している。

1945年8月9日: 広島に続き長崎に投下

1945年8月15日: 日本、ポツダム宣言受諾。太平洋戦争終結。

1945年: 日本軍、東インドから撤退。インドネシアに独立宣言される。

1945年: オランダ、インドネシアに進駐・武力衝突。インドネシア独立戦争開始

1946年: 東西冷戦の始まり。英元首相チャーチル、「鉄のカーテン」発言。

1947年6月: マーシャルプラン(戦後の西欧経済援助)

1948年: マーシャルプラン受け入れ機関、OEEC(欧州経済協力機構)発足

1948年: ベネルクス三国関税同盟

1949年: 西ドイツと東ドイツが成立する

1949年4月4日: 北大西洋条約締結(NATO)

1949年: マーシャルプランに対抗して経済相互援助会議(COMECON)結成

1949年12月27日: インドネシア独立戦争終結

1950年2月: アメリカ、マッカーシーの告発。マッカーシズムから赤狩りへと展開される

1950年6月25日: 朝鮮戦争 (〜1953年7月23日)

1952年: 欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)結成

1953年2月1日: オランダ南西部のデルタ地帯に大洪水が発生。約1800人の犠牲者を出す

1953年3月5日: ソ連、スターリン死去

1955年: オーストリア、永世中立宣言

1955年: NATOに対抗し、ワルシャワ条約機構結成

1956年: フルシチョフのスターリン批判

1956年 10月23日〜11月4日: ハンガリー動乱

1957年3月25日: 欧州経済共同体(EEC)設立

1958年: 欧州原子力共同体(EURATOM)結成

1958年: オランダ、デルタ計画始動(〜86年)

1960年: 欧州自由貿易連合(EFTA)発足

1961年8月: ベルリンの壁の始まり。西ベルリンを囲む形で鉄条網が築かれる

1962年: キューバ危機

1962年: オランダ、西イリアンを失い、植民地政策を諦める

1965年: ベトナム戦争(〜1973年)

1965年: ブリュッセル条約調印

1967年: ヨーロッパ共同体(EC)発足

1968年: EC内で関税同盟完成

1968年: プラハの春

1972年: 米ソ間、戦略兵器削減交渉(SALT)開始

1973年: ベトナム戦争終結

1975年: 欧州安全保障協力会議

1977年〜: ソ連、中距離弾道ミサイルを配備

1979年: 戦略兵器削減交渉(SALT)第2回協定

1979年12月: アメリカ、中距離核戦力(INF)を西側ヨーロッパ配備と発表

1979年12月: ソ連、アフガニスタン侵攻

1979年: イラン革命(イスラム革命)。東西という認識以外のイデオロギー。冷戦後の紛争に繋がる

1980年: モスクワ・オリンピックの西側ボイコット

1981年: イラン・イラク戦争

1984年: ロサンゼルスオリンピックの東側ボイコット

1985年: ゴルバチョフのペレストロイカ

1987年: 米ソ、中距離核戦力全廃条約(INF)調印

1988年: ソ連、アフガにスタンから撤退

1988年: ハンガリー、一党独裁放棄

1988年: ベオグラード宣言

1989年5月: オーストリア・ハンガリー間国境開放

1989年8月19日: ピクニック事件

1989年: 東欧革命。一連の東欧諸国が民主化

1989年11月9日: ベルリンの壁崩壊

1989年12月: マルタ会談。米ソ首脳、冷戦の終結宣言

1990年8月: イラク軍、クウェート侵攻

1991年1月: 湾岸戦争

1991年3月: ワルシャワ条約機構、軍事機構を廃止

1991年6月: COMECON解散

1991年7月1日: ワルシャワ条約機構、正式解散

1991年7月: 冷戦終結.。米ソ、.第一次戦略兵器削減条約(START)調印。

1991年12月25日: ソ連崩壊

1992年2月7日: マーストリヒト条約署名

1993年11月1日: EU(ヨーロッパ連合)発足

1999年5月1日: アムステルダム条約発効

2002年: EU内数各国で通貨をユーロに統合

2002年: 欧州石炭鉄鋼共同体解散

2003年2月2日: ニース条約発効

2005年10月: 欧州エネルギー共同体 (European Energy Community)

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