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HANA5.GIF2日目
ホテルはビュッフェ形式の朝食。話によると、オランダ人のおっさんおばちゃんの中には、あらかじめ水筒とお弁当箱を用意して泊り、ビュッフェのパンやジュースを詰めて昼にする連中もいるそうである。イスラエル人がよくやるのは、ホテルに知人が泊っていたら、宿泊客でもないのに同じグループのふりをして無料で朝食を取りにくるそうだ。
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さて、ベルリン大聖堂に来た。大変ゴージャス。 ベルリン市内にあるこの大聖堂は、プロイセンからドイツ帝国に渡って皇帝を輩出したホーエンツォレルン王家の墓所が在る所でもある。高さが114m。1893年に建築開始、1905年に完成。第二次大戦のベルリン市街戦で大被害を受けたが、1993年に内部修復が完了。
ちなみにホーエンツォレルン王家、最後のドイツ皇帝ヴィレム2世の墓はここにはない。何とうちの近所のユトレヒト郊外にあるのである。
その理由は後日説明する。
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内部の美しさに見入っていると、いつの間にかミサが始まっていて、出るに出れない雰囲気に…。
信者にまざって、パイプオルガンの響きに耳を傾ける。

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食事の量はどこも多いので、お昼は屋台のカレーソーセージとカフェではケーキとラテ・マキアートだけ。

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再びベルリン名物、屋台のカレーソーセージ

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 しかし、この歌劇場の隣のカフェ、ケーキの種類の多いこと、どれもおいしそうなこと。思わず写真を撮ってしまった
 

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ジャンダーマン・マークトは、フランス大聖堂、ドイツ大聖堂、そしてその間にコンサートハウスと、3つの建物を後ろに控える大きな広場で、17世紀、ベルリンの都市拡張計画の一環として作られた。ベルリンで一番美しい広場と言われてる
今回の旅で、私にとって印象に残ったのは、ベルリンの壁博物館:チェックポイント・チャリーかもしれない。 チェックポイント・チャーリーとは、東西冷戦の最中、ベルリンが東西に分断されてたころの検問所のうちの一つである。西側はアメリカ軍の管轄で、そこに東側に見えるようにアメリカ軍兵士の顔が高々と掲げられている。
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脇のサインボードは「あなた方はアメリカの向こう側にいる」と東側に見えるほう。西側では「アメリカの管轄下です」。東側の人間に西への憧れを煽動させるサインなのである。 近くのベルリンの壁博物館に、それらの記録が展示してあり、思わず考え込んでしまう。ソビエトの西側市民誘致作戦や侵攻、市民の民主デモ、犠牲者の数々ETC…。人々は実に様々な方法で西への亡命を試みた。 ショッピングカートに子供を入れ向こう側に送ろうとする、ステレオスピーカーの中に入る、東のビルから西へと飛び降りる、車で強行突破、トラバント(東ドイツの量産車)のエンジンでジャイロプレーンを作り越える、カヤックで海から、トンネルを掘る、など。成功した人もいれば、失敗し銃撃され命を落とした人も多数いる。 強行突破を試み射殺された人の映像はショックだった。なぜならそれは1980年代なのである!。ほんのつい最近までそのような悲劇があったのだ。そのころ日本人は何をしていただろう。バブリーに酔っていた頃だろうか。 この展示館には多くのドイツやヨーロッパの若者が訪れていた。 ファッショナブルでスマートな10代くらいのドイツの学生達が、展示を見て活発に議論している。残念ながら、日本の若者達にこんな光景は見たことない。また、ドイツは積極的に東西ドイツ時代やヒットラー時代の反省を惜しみなく教育に取り入れている。学生達も問題意識を持って活発に意見を交換する。日本は欧米のうわべだけ真似して、肝心なところを全く取り入れてないな、とこっちの子供達や若者達を見て切に思う。急に愚痴になってしまったけど、ベルリン旅行に話を戻そう。 個人的にナチ関係は興味があるので、ゲシュタポ(秘密国家警察)、SS(親衛隊)本部跡にある展示「テロのトポグラフィー」見学。残ったベルリンの壁の下に、地下室だけが平行に残っている。 テロのトポグラフィーとは,ナチのゲシュタポ(秘密国家警察)、SS(親衛隊)、などの本部にあった地下牢跡が発掘され、現在はその跡地において開催されているナチ関連の展示が行われている。 このエリアはナチの機関が連立し、ヒムラー、および彼らの部下がデスクを構え、重要な決定(政敵の迫害、ポーランドの占領地域の「ドイツ化」、捕虜の処刑、ユダヤ人の大量虐殺、等)が下されたエリアでもある。
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地下壁面には、ナチスの組織構成やユダヤ人絶滅政策、犠牲者、ナチスのフローチャート等の資料が掲示してある。 展示はドイツ語のみで、英語の音声ガイダンスを借りる。この受付の女が異常に愛想が悪かった。そういえばケルンのナチ分署跡に行ったときも、受付が異常に愛想が悪かった。場所柄、愛想がよくても怖いが。 気がついたのだが、同じ観光スポットでも、ベルリン大聖堂のような教会は年寄りの観光客が多く、チェックポイント・チャーリーやテロのトポグラフィーなどの政治的やナチものの観光スポットは若者が多い。ていうか、それらはほとんど若者しかいないといっても過言ではない。やはり実際の戦争の世代は不幸な歴史を思い出したくないのかもしれない。また、戦争を知らない若者だからこそ、政治的やナチものを直視できるという利点もあるのであろう。ナチによる残虐な拷問や処刑の犠牲者は数知れず、このような展示を見れば見るほど、犠牲者の方々の冥福を切に祈ると同時に、我々が今現在生きているということは奇跡に思えてしまう。人間の奥底に潜む残忍性が集団ヒステリーの中で正当化されていく様は恐ろしい。 夕飯をレストランで食べる暇もなく、屋台でまたもやカレーソーセージを食べ、ベルリンオペラ「コシファントゥッテ」を見に行く。この辺の慌しさが日本人である。「コシファントゥッテ」はモーツァルトの歌劇を、衣装を現代風にして気軽に楽しめる演出になってた。やはり歌唱力は、さすがベルリン歌劇場、って感じ。やっぱ、本場は違うよね。でもって、チケットも安いので、老若男女が気軽にクラシックに触れる環境が出来ている。お客さんも、ジーンズの若いカップルから、家族連れ、正装の老夫婦まで実に様々。情操文化が豊かである。
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