ドイツ・バイエルン旅行(15)---シュタルンベルグ湖(2)
HANA5.GIF第8日目
遊覧船でとなりの村へ。舟が来るまで間があったので船着場のホテルでランチ。

バルコニーでランチ 瀟洒なホテル

自家製ニョッキのバジルソース
ホワイトソーセージ
バイエルン式ソーセージのサラダ

再び舟に。向こう岸のポッセンホーフェンへ渡る。

←船尾の飾り

ポッセンホーフェン城が見えてくる 船着場のつり小屋?

シュタルンベルク湖は地元の人の水泳場。
こんな子供達が普通に泳いでいるのを見ると、ルートヴィヒ2世が溺死したとはとても思えない。

ポッセンホーフェン城は、ルートヴィヒの従妹で、
後のオーストリア皇后エリ-ザベトが16歳まで育った場所。
夏はこのお城で家族で過ごし、冬はミュンヘンに戻った。

ルートヴィヒ2世も若い頃は美男子だったが、
この従妹も美人の誉れ高い女性である。
エリ-ザベト(愛称はシシー)は、
バイエルン侯爵マクシミリアン・ヨーゼフと
その妻ルードヴィカの次女として、1837年誕生。
ルートヴィヒ2世の従妹である。
本来は姉の見合いの相手である
皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ16歳で結婚。
オーストリア皇后となる。
しかし、本来の自由奔放な性格から宮廷生活を嫌い、
マデイラ諸島、ギリシャのコルフ島、
イタリアなど各地をあえて旅行したり、
病院を慰問したりと理由を見つけてはウィーンを遠ざけた。
宮廷のしきたりの反抗と本来の反骨精神から、
当時オーストリア帝国の一部となっていたハンガリーをサポートし、
ハンガリーの自治権を推進した。
息子ルドルフ皇太子の自殺以降は彼女は死ぬまで喪服をまとった。
1898年、ジュネーヴのレマン湖で、
イタリア人無政府主義者ルケーニよって刺殺される。
エリーザベトもルートヴィヒも数奇な運命を辿った。

ポッセンホーフェンから歩いて薔薇島のあるフェルダフィンクへと向かう。
シュタルンベルガー湖は澄んだ美しい湖。
最深は1000メートルを越すとのこと。

薔薇島行きの船着場 薔薇島行きの船

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