Fort Everdingen
エファデンヘン要塞要塞(01)


エファデンヘンにて。
この看板が門にある施設は立ち入り禁止犬にガブリとやれらる。
内部は立ち入り禁止

エファデンヘン要塞は要塞塔を持つ稜堡式要塞である。
1842年から1847年、要塞塔はレクダイク通りとディフダイク通りのジャンクションに建設された。
レク川を挟み、対岸にはホンスワイク要塞が位置する。これらの要塞は互いに同時期に建設された。
要塞はレク川の水を取り入れる洪水水門及び洪水水路をコントロールした。
1873年から1877年、例によって他の要塞のように改修工事が行われた。

残念なことに、実際中に入っていないので、明確なことは書けない。
というのは2006年9月現在、オランダ空軍の爆発物処理班が使用中なので、要塞は立ち入り禁止なのである。ただ将来的に農業省へ機能が移転するので、公認ガイドさんにくっついて周囲をうろうろするのは許可されている。しかし、現時点での軍事施設内部にカメラを向けるのはやばいので掲載していない。

このHPの管理人はとある要塞で軍事施設とは知らず写真を取ってたら、関係者が中から出てきて「写真を全て消すように」と、言われたことがある。
何せ東西冷戦時代も新たに洪水線を築いたり、冷戦対策の軍事機密の要塞が有った位である。
冷戦が終わって20年も経過していないので、油断は禁物である。

周辺の道路工事で、大量のビールやジンのボトルが出てきたそうである。
動員時の兵士達によるものである。
1940年の動員で、オランダ自体はそんなに景気はよくなかったが、この要塞の周囲はパブなどが出来、兵隊達のお陰で儲かったそうである。「何々が儲かった」という話は普段からオランダ人は大好きである。
要塞の濠の周囲には樹木が植えられている。元来樹木を植えてはいなかったが、第一時世界大戦頃偵察機が上空に現れ、濠の水鏡に要塞の姿が映し出されるのを防ぎ、木陰を水面に作る為このような措置が取られた。

この頃の動員の形式は、要塞の中と外で駐屯し、交代し合うという形式が取られている。
要塞の掩蔽施設の中は寒くて暗くて湿気が多い。その上いつ敵が来るか解らない緊張感。
それらの原因で、体を壊したり精神的におかしくなったりする兵士が、以前の動員で大量発生した。
その為、第二次大戦前の動員では、近くの農家のホームステイ組と要塞待機組に分かれ、時期が来たら交代するようになった。戦闘に入る前に兵力が病気で倒れるなんて話にならないからであろう。管理人も何度か要塞に入ったが、確かに何年もこんな所ににいたらノイローゼになるわ、と実感する。

濠からの眺め ディフダイク通りに点点とシェルターが続く
以前の洪水用水路。現在は枯渇している その水路の水門の名残
レク川の水を取り入れるメインの洪水用水門 第一次大戦型と2次大戦型シェルターが仲良く並ぶ
ロード・ストッパー。車両通行止め用 この目印が要塞の周囲に設置されている。目印を基準に要塞側は治外法権
レク川から洪水水門までの取水口 向こうはレク川
レク川。向こうはホンスワイク要塞ここと向こうでレクの水を取り入れて洪水にする予定であった。 遠くに見える高架橋がユトレヒトへの鉄道路線。
この辺にシューティングレンジがあった。今はない 濠の周りで釣り人がキャンプしてた。

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