Castellum Fectio
古代ローマ要塞 「カステリウム・フェクティオ」(01)


ローマ要塞の見張り塔の復元
オランダで一番古い要塞

オランダで一番古い要塞は?と聞かれたら「ローマ要塞ということになるだろう」
どのローマ要塞が一番古いのかはわからないが。

ここカステリウム・フェクティオの場合、1829年に最初の発掘が行われる。
ヴェヒテン要塞の建造中にさらに発見は増える。
1869年に高さ84cmの石碑(写真)が発見され、ヴェヒテンの石と名づけられた。
石の本物はライデン考古学博物館(Museum van Oudheden (M. of Antiquities))にある。

この地帯にあったカステリウム・フェクティオ(castellum Fectio)は紀元4年位に建てられた。
大きさはサッカー場が2.5から3つ入るくらい。オランダ的な表現である。
要塞は川沿いにあり(今はその川はない)、河から南がローマ、川向こうの北がフリース人の土地。
つまり国境線だった。
また、この要塞はローマ軍にとって、ドイツの侵略のための供給基地としてに非常に重要であった。
入植者や商いを行うもの等も集まり、人口も徐々に増えてきた。
このころのオランダ人は、バタヴィア人やフリース人、あと色々いたようだが不明である。
その差は実はよくわからないのだが(現代のオランダ人もよくわかっていないらしい)
、オランダ人傭兵は大変優秀である、と、かのシーザーも評価していた。
写真のヴェヒテンの石は紀元69年から70年にオランダで発生したローマへの反乱に関するものである。
それこそ「バタヴィアの反乱」と呼ばれる。日本語HPで探したら、この反乱についての記事がなかった!。
バタヴィアという名称は、その後のバタヴィア共和国やインドネシアのバタヴィアにも使われている。

ここでは木製の塔を復元してある。
オランダには石がないので木の塔だが、ドイツだと石造りになった。
ローマ人は現地調達の材料でいつも建造してたとのことである。
古代ローマの技術の中には、後の中世よりも優れたものが存在した。
例えば水洗トイレはローマ人が既に発明していたとのことである。

現在、ローマ要塞があった所は果樹園になっているが、記念館として復元されたローマ要塞の見張り塔が建っている。
時折、古代ローマの兵士のコスプレをした人々がローマの歴史について説明してくれる。

緑の大地にそびえ立つ古代ローマの監視塔 中に入る
バルコニー バルコニーからの眺め
ローマ人が現れた! 攻撃のポーズを取ってる!
レナウェンとヴェヒテンの間にあるヴェヒテンの石の記念碑。本物はライデンに。


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