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濠の向こうからの眺め。要塞敷地内の住宅が美しい |
ハーヘル要塞は1819年〜1821年に、ユトレヒトの北方に建設された。第一次リングである。
付近に2,3の堤防(土手)があり、それらの防衛と共に、付近の洪水用水門もコントロールした。
第一次大戦時にはシュミレーションで洪水を起こしてみたらしい。
1850年〜1852年の間に、16×16メートルの正方形の対爆哨舎(検問所)が建設され、敷地も拡張された。当時は円形の要塞塔が流行っていただけに、正方形というのは面白いと言われている。
レンガ造りの哨舎は厚さ1.5メートルの壁で、それが当時の対爆であった。
この頃はこれ1棟だけであった。
しかし散弾等が発達し、それまでの武器の16〜20倍の破壊力にアップ。またもや対爆施設が対爆ではなくなってしまった。
1878年から土塁を盛ったりして再び哨舎は修築。そして対爆掩蔽兵舎とリマイズが増築された。
131人の兵士と14門の火器、が1885年の動員時のデータである。
最終的には第二次大戦前に、3つのピラミッドが設置された。 |
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まず目に入るのが正方形の哨舎。
1850年はこれ1棟だけであった。 |
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哨舎の背後すぐの掩蔽兵舎。近すぎて写真に収まらない |
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掩蔽兵舎の一角は、伝書鳩協会のオフィス。 |
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内部。伝書鳩協会のカフェ状態になってる。 |
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カフェ脇の部屋へ。 |
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緑の扉の向こうは弾薬庫だった。
現在は貸しスタジオ。 |
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兵舎の別の部屋へ。キッチン跡があったが、現在はトイレ。 |
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