Fort Nieuwsluis
ニューワースルイス要塞(1)

要塞付近は跳ね橋や水門の多い美しい水郷地帯 アンティーク屋さんが数件
下の写真は跳ね橋の様子
跳ね橋が上がり 船が通る 通った後は下がり 人が通る

冷戦時代も現役だった要塞


ニューワースルイス要塞は、1849年〜1851年に建設され,約450人収容することができた。
1880年ごろ兵器の発達により改築。バンカー、対爆掩蔽兵舎、3つのリマイズ(武器庫)等が増築された。
最初のうちは指令センターは塔であった。が、武器の発達により塔や城のような高い建築物では、破壊しやすくてかえって危険になる。その為上部を削って土や草を盛り、掩蔽タイプに改造され、メイン機能は掩蔽兵舎へ移行した。
要塞塔が円形であるのは、方形だと一箇所破損により一面の壁が破壊される。円形だと攻撃による破損も部分的なものとして済む。という理由で1840年代は円形塔がベストだと考えられていた。
要塞塔は、ニューウェテリンク川とヴェヒト(Vecht)川、1920年代以降はユトレヒト-アムステルダム間の鉄道路線と後に建設されるアムステルダム・ライン運河を防衛した。

川向こうの、宮殿のような刑務所 その隣の瀟洒なお屋敷
元来はヴェヒト川を挟んで二手に分かれる、17世紀からの稜堡(バスチヨン)を持つ城塞地域でオールド・ホランド・ウォーターラインに属していた。ツアーが行われるのは近世に要塞化され、ニュー・ホランド・ウォーターラインになった区域である。ツアーのないバスチヨン側は現在女子刑務所。その前は軍事刑務所であった。
その為以前は、「ニューワルスライスに行け」と言われた場合は「軍事刑務所に入れ」を意味するものであった。しかしこの刑務所、上記写真のように、最初は宮殿かと勘違いするほど大変美しい建物である。

入り口にある要塞MAP
1.要塞塔(後に上部を削って掩蔽施設化したもの)
2.対爆掩蔽兵舎
3.リマイズ(掩蔽兵器庫、武器庫)

4.要塞警備員住居
赤丸が近代要塞化側(ツアー)、緑は刑務所。バスチヨンの形状が確認できる。
第二次大戦後の冷戦時代は市民防衛の為のヘッドクォーター、及び軍事留置場、一般市民の兵役の演習場であった。掩蔽兵舎内に、共産圏が攻めてきた時の為の作戦室、通信センター、シェルターなどを備える。主にABC兵器(アトミック、バイオ、化学)が落ちたら施設中を閉鎖し、外気を遮断する予定だった。
兵舎内には、1960年代の自家発電施設、(最悪の場合、自転車式自家発電)。生物化学兵器が空気を汚染した時の為の空気清浄機やパイプが設置されている。
清浄機は半径1メートル、高さ1,2メートル位の灰色の円筒形。ガスボンベにも見える。
近隣に落とされた場合、フィルター1台につき6時間。1日生きるのに4台。ちょっと寂しい。
このシェルター室は15人収容可能の3段ベッドのドミトリーもある。
通信センター室は電話機などの通信設備(60年から70年代型)、オペレ-ター設備が置いてあり、例えば「どこどこが攻撃された」との情報がオランダ中から入る仕組みであった。冷戦真っ只中の時は毎週月曜に予行演習で警戒警報のサイレンがなってたそうである。
冷戦時代初期のサイレン。
(オランダ空軍博物館より)
要塞敷地内にはシューティング・レンジ(射撃練習場)も残る。
オランダは冷戦時代、男子は兵役義務があった。1970年位までに生まれた一般市民には兵役経験のある人がいる。シューティング・レンジは、兵役中の市民の練習用である。
要塞内は湿気が多いので、施設の劣化が早く、保存協会は苦労しているようである。

兵舎の一室から 兵士の宿舎に描かれてた落書き。50年代に描かれたものらしい。人魚(女の子)を釣ってる様子。
兵舎内に通っている空気浄化システム用のパイプ。兵舎の横壁の厚さが1mしかないので、壁の中にパイプを埋め込むことが出来ず、兵舎内部にパイプを設置することになった。この上を歩く時は頭上注意
兵舎全景 この木から木靴が作られるとのこと
リマイズ(武器庫)。大砲を格納していた。20世紀初頭まで馬が大砲を運んだ。
射撃練習場。 市民用で、兵士用は別にあった。
通気口の煙突。地面の下は兵舎。
掩蔽兵舎の後ろ側

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