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要塞周囲は豊かな自然が広がる |
要塞の濠は遊泳場になっている |
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周囲ののどかな眺め |
浸水エリアに入る要塞
ルイヘンフック要塞は1867年から1870年にユトレヒトの北東に建設され、レナウェンやヴェヒテン等と共のセカンドリングに属する。
ルイヘンフック堤防の上に立ち、堤防の防衛と洪水水門のコントロールが主なタスクであった。 迎撃機能はレナウェンやヴェヒテンにある。
この頃建設されたセカンドリングの要塞と同じように、バスチヨンの形状、掩蔽のリマイズや兵舎で構成される。
第一次大戦、第二次大戦前の動員の期間に、塹壕、シェルター、マシンガン・バンカー、及び観測所などが建設され、要塞というよりは歩兵隊ベースの防御陣地となった。
尚、観測所はもう少し何かあったらしいのだが、やはりドイツ軍が金属部分を持って行ってしまったので、跡が残るのみである。
第一次大戦前に設置されたマシンガンバンカーは、簡素な造りであるが、一種の実験で作られたものらしい。1885年の動員では24門の火器と共に、240人が駐屯。
とにかく起伏が激しい。シェルターやバンカーがばら撒き状態。
こんな凸凹要塞は初めてである。
説明員さんの話では、この起伏の激しさは案の定、塹壕の名残であった。
しかも樹木が育った場所が尚更突起し、イギリスの丘陵地帯のようになってしまった。
勿論、要塞が作られた当時はレナウェン要塞のように平坦であった。
ただ塹壕がどのように張り巡らされたかを参照するには面白いかもしれない。
堤防(土手)のターニングポイントに建ち、敵がこの堤防を進むのを妨害した。
そして洪水水門のコントロールも主なタスクであった。この要塞の咽喉部前の通りには洪水用水門、右手の幹線へと続く道路上には戦車バリケード(通称:アスパラガス)が突き刺さっていた。
主に倉庫の役割をする要塞で、迎撃機能はレナウェンとヴェヒテンにある。
この要塞は防衛洪水時には洪水地域内に入る。
そのため武器用の防水倉庫がある。洪水時でも水が入らず武器を保管できたとのこと。
しかし19世紀のアールヌーボーからアールデコの美学を持った要塞たちが、
兵器のあまりにも急激な発達で要塞の終焉を迎え、
防御陣地と化して無機質なコンクリ建造物と塹壕だらけになっちゃう光景は
何だか空しいものがある。
しかもコンクリものは軍が慌てて設置するケースが多く、ばら撒かれているなあ、という印象を受ける。
この要塞でその変移を見ることが出きる。
ダイナマイト武器庫だったらしい建物があった。壁の厚さが15センチ以上。しかし屋根は薄い。
爆発の横広がりを避ける為、横壁は厚く屋根は薄い弾薬庫が榴弾以降の特徴である。
ゲートが閉まっているので撮影&立ち入り禁止なのかと思ったら、
説明員さん「いやあ、ここは大して面白くないから閉じただけだよ」とのこと。 |
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濠の外からの眺め |
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橋をわたって入り口へ |
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入り口すぐの兵舎。兵舎は2つあり、この背後にもう1棟。 |
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入り口両脇に各部屋への扉がある。 |
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このタイプの部屋がいくつかある。そのうちの一つに入る。
この部屋にシャンデリアらしきものがある。
オフィサーの趣味だったのだろうか? |
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アンティークなストーブが残る |
飲料水を溜める雨樋 |
今も綺麗な水を湛えている |
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扉が壁で塞がれている |
キッチンの跡 |
キッチンにあったランプ |
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