ウォーターラインの仕組み

ウォーターラインは、人為的洪水による防衛で有名である。
ライデンの抵抗、オールド・ホランド・ウォーターラインで洪水が敵の進撃を阻むのに効果的であることを証明した。
19世紀以前は、既存の堤防などを決壊して浸水させるのがメインであった。オールドウォーターラインも城塞都市を結ぶのが主であった。
1815年以降は水位コントロールの為の取水や排水のシステムを巧みに使用し、専門の要塞などを建設し、より技術的にすることが可能になった。
洪水線は第二次大戦後の冷戦時代も設定され、実は現在でも使用の出きる用意があるとのことである。

洪水によって、水面が至る所で同じに見えても深さは全く違い、判断することが困難になる。
40〜50cmの水深は、通行及び航行を不能にするのに十分であった。
軍は、水位の異なる盆地をいくつかの洪水用領域として分けた。
普通の干拓地(ポルダー)の水路が、時々洪水の調節のために使われた。
重要ポイントに洪水用水路が築かれ、洪水用水門でコントロールされた。

しかし、問題は敵だけではなく国内でもあった。
洪水のお陰で農地が水浸しになり、農作物に影響が出る。塩水を組み入れた地域では塩害が出て長い間使い物にならない土地にした。
オールド・ウォーターラインの期間は、自分達の敷地から水を他に移動させる為、堤防を壊しちゃった農民達もいた。
その為1896年の防衛洪水作戦法令により、演習あるいは動員により洪水を起こした時は、その土地の住人に補償が出ることになった。この法令は現在もまだ影響力があり、1996年にも改正されている。

要塞から外敵への攻撃で、要塞から発射する火器(銃や大砲)の射程区域が必要であった。
その為、要塞やその他軍事施設周辺は種種の建設や農業規制が適用された。この区域に何かを建造する場合、軍の認可が必要であった。これを禁止区域法と言い、基本的に、
半径300メートル以内・・・建築不可
600メートル以内…木造建築のみ
1000メートル以内…破壊しやすい建築。
という定義になっている。戦争や動員、演習の時にこれらを壊して射程領域にする為である。
この法は1951年に停止され、1963年最終的に公式に無効となった。
110年に渡るこの法律はオランダの風景に影響力を及ぼした。
最も顕著な例の1つがユトレヒト市である。 禁止区域法廃止までユトレヒトの要塞密集地帯周辺(東側)は、開発に着手することができなかった。そのおかげで現在も美しい自然が豊富で、都心から自転車で行ける距離にキャンプ場まであり、人々に多くの憩いの場を提供している。
ユトレヒトはオランダ第4の都市でありながら、近隣に美しい自然環境も存在するのは要塞の影響でも有る。
そしてユトレヒトに限らず、オランダ各都市の周辺に手軽に自然が存在するのは、実は禁止区域法の影響でもある。

海抜が比較的高く、軍事防衛用洪水で浸水不可能の地域がどうしても出てくる。そのような地帯に要塞や砲台等が建設され、アクセス・ポイントと呼ばれ、文字通り浸水地域と浸水地域を結ぶアクセス・ポイントとなった。
アクセスポイントには二種類ある。天然アクセス・ポイントと人工アクセスポイントである。
天然アクセスポイントで最も知られているのは、ハウテンス・フラクテと呼ばれる高台(ユトレヒト市の東。干拓以前は川床であった)であった。ユトレヒトの代表的な要塞が要塞はクローム川に沿って建設された。
多くの堤防が鉄道や道路のために基礎として建てられるにつれ、アクセス・ポイントの数は増大した。 新しい防衛施設がこれらのインフラを守るために作られた。 これが人工アクセスポイントである。
1930年代、巨大なアムステルダム-ライン運河が建設され、既存の防衛用浸水水位計画に影響を及ぼす為、新たにプロフ水門が加えられた。外敵の攻撃を受けた場合この水門の裏側を爆発させて防衛する予定であった。

いかにも「要塞です。」と、地にそびえ立っていたら目立って攻撃の的になりやすい。
その為、植樹等によるカモフラージも同様に重要であった。要塞を周辺の自然の風景に溶け込ませ、目立たなくするのが目的である。軍はカモフラージュ用植物の栽培場も保有していた。
濠に沿って植えられたポプラ、ヤナギ、にれは、要塞を周辺の風景と調和させた。 セイヨウサンザシやバラの茂みは有刺鉄線の役割をした。哨舎の近くには栗やくるみなどの木を植え、影を作り建物が見え難くになるようにした。
土壌を保護するため草がフィールドや対爆掩蔽兵舎の上に植えられた。睡蓮や葦、その他の水生植物が、空中からの敵用にカモフラージュとして濠で栽培された。 ウォーターラインが現在キャンプ場やピクニック、サイクリングのポイントとなっているのは、この美しいカモフラージュのお陰でも有る。

第一次対戦後半〜第二次大戦は、軍事技術が飛躍的に伸びた。
オランダは要塞建設の拡張を止め、代わりに要塞の周囲にバンカーがばらまかれるようになる。
バンカーは主に要塞と要塞の間に見かけることが出来る。
よく見かけるタイプは「ピラミッド」と呼ばれる1939年にばらまかれた避難壕である。キューポラつきバンカーのGカゼマット(Gタイプバンカー)は、砲郭部分が鉄で出来ていた為、金属不足のドイツ軍にもぎ取られたものが多い。

戦争中は爆撃により水路がカットされたり、水道管に毒を流されたりする可能性が大きい。ニュー・ホランド・ウォーターラインとアムステルダムのディフェンス・ラインの要塞は、飲料水の自給システムを持っていた。
軍は対爆掩蔽施設の屋根に、雨水を取り込む構造を設計した。
屋根に植えてある草、及び草の下の土砂がフィルターになり雨水が浄化され、滴細管を通し地下室の貯水タンクまで納まった。 タンクが水で溢れる前に、余分な水は内部濠に排出された。 越流管は濠の水が貯水タンクに流入しないように設計された。ニューワー・スルイス要塞では、水質が汚染されているかどうかを確認する為に、貯水タンクでウナギを飼っていた。

毎年、軍は水門を開閉しテストした。時折動員演習もあったが、 実際の洪水は起きなかった。 土地所有者に防衛洪水オペレーション法による損害賠償金を支払うのが嫌だったらしい。オランダ的理由である。
安全管理の為、要塞に入ることや地図に要塞の所在地を示すことは軍事機密であった。
現在でも軍に属している要塞は立ち入りと撮影禁止である。




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