Werk aan de Vreeswijk
フリースワイク堡塁
(1)

フリースワイクの通りと跳ね橋
郷愁の港町、フリースワイク

ながきに渡りフリースワイクはオランダの水上交通の要であった。
フリースワイクの「オールド水門」と運河は1373年に造られ、重要な水運拠点だった。その後17世紀頃、ユトレヒトへの水源供給も担うことになる。ライン川からLEK川、そしてこの運河を、はるばるドイツのケルンからの船も行き来した。
1853年、フリースワイク堡塁はユトファース要塞の100メートルほど先に建設された。レク堤防の隣に直接建造され、フリースワイクの街の直前に位置する。

現在建物の一部は郷土資料館となっている。郷土資料館は、このフリースワイクに昔あった物や風景、昔の写真を展示している。大体19世紀後半から1950年頃までのものが中心である。

郷土資料館は、フリースワイクの華やかな時代の名残を展示している。昔は冬は必ずLEKも運河も凍結し、みんなスケートを楽しんでいた。最近は冬が暖かくなり、川や運河でスケートが出来ない。最初のスケートは金属でなく、馬か牛の骨だった。スケートを楽しむ少女の古いセピア色の写真があった。1940年代位である。
資料館の年配の女性は、「この女の子、実は子供の頃の私なのよ」と微笑んで言った。
オールド水門付近。水門と複数の跳ね橋の風情あるエリア水門は複数ある。
レク(LEK)川を運河を仕切る側の水門
水門のレク側からの眺め レク川
フリースワイク堡塁前の手作り要塞郡 子供達が要塞ごっこをしていた
木造兵舎。現在は郷土資料館 土塁壁の上から濠を臨む
昔のお店を再現郷土資料館にて。 昔は水門が故障すると、大工が潜水服を着て運河に潜って修理した。
昔の自転車のナンバープレート
第二次世界大戦前までは、自転車は車扱いで自転車税がありナンバープレートがついていた
昔の電話交換台

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