WerkW
ウェルクW砲台(01)


広大な敷地に建つウェルクW この銃眼が壁全体に覗く
たった一つ残った砲台

かつて5つの砲台がナールデンの周辺に築かれ、ナールデン防衛線と言われるものを形成していた。
ウェルクW砲台はそのうちの一つの最大のもので、1868年〜1870年に建設された。
ウェルクという単語が砲台や堡塁を意味するので、直訳すると「4番砲台」ということになる。
ナールデン防衛線で今日残っているのはこのウェルクWのみである。
要塞はホーイという高台の上とウォーターラインの上部に位置している。
高台に位置しているため、低湿地や水郷に築かれたオランダの典型的な要塞とは異なり
水の無い濠で囲まれた。形もポリゴン形式で稜堡を持たず、ウォーターラインの水郷地帯の他の要塞とは異なった形状である。
レナウェンも高台に位置しているが、地下水から水濠を形成している。
このウェルク4のような形状の要塞はオランダでもここだけとのことである。
ぐるりと取り囲む防護壁全てに銃眼があり、圧巻な眺めである。

防護壁の内部のグランドの左右に掩蔽下の兵舎がある。
その間にはポスターンという通路があり、壕に通じていた。
また大抵の要塞は入り口の外に警備員住居があったが、ここではグランドの中央付近、銃眼壁の内部に位置している。
銃眼壁の外の咽喉部に木造の武器庫がある。
掩蔽兵舎は復旧されたもので、他の施設も復旧中とのことである。
2002年〜2003年に要塞警備員棟も再構築された。
この広さなら掩蔽の下の兵舎もさぞ広いだろうと思ったら、2つの施設部分と通路のみ。面積の10分の一にも満たない。
元来はハウテン・フラクテのレナウェンやヴェヒテンのような迎撃要塞の予定であった。
しかし後日この要塞のポジションはあまり重要ではないと判断され1926年に軍役から離れることとなった。確かに、この全ての銃眼をカバー出来るほど当時充分な人口があったとは思えない。
動員は普仏戦争時だけであった。
1969年、この要塞はナショナル・モニュメントのステ-タスを得る。
現在要塞は、コンサートや料理教室、展覧会、アーティストのアトリエ等、様様なイベント会場として使用されている。
特にコンサートは野球場のようなお椀型のグラウンドのおかげで、音響がいい。

実は以前もここに来ようとして、付近で道に迷ったことがある。
その時偶然、親切なオランダ人女性が通りかかって、わざわざ私を車に乗せて探してくれた。
「でも、あなたその住所に一体何があるの?」と聞かれたので「要塞ですよ」と答えたら、
「えええええ!そんなものがあるなんて知らなかった!」とのことであった。
彼女は地元の人であったが、マイナーな場所らしい…。

五ケ所にある突起状の砲郭 砲郭内部。といっても壁全てが砲郭かもしれない。
こんな壁でぐるりと囲まれ、5箇所突起がある。
咽喉部の掩蔽兵舎と銃眼壁
兵舎内部はアトリエなどに使用されている。
中央通路入り口。コンサート会場に使用されている 防護壁外の武器庫。現在はイベント会場
要塞警備員住居。現在は個人宅。 要塞犬
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