Fort Blauwkapel
ブラウカペル要塞(01)


15世紀初頭から続く教会、ブラウカペル
要塞化された中世の村

ブラウカペル要塞は1818年から1821年に建設される。
ここは洪水線による防衛上重要な地点であったが、既にブラウカペルという中世からの古い村が存在した。特にブラウカペル教会は、1400年初頭から続く由緒ある教会である。
村を潰して新たに要塞を作るには費用がかかったので、村の周りに土塁を築き要塞化した。
なので要塞の中に村があるのは、「経費節減」という全くのオランダ的理由からであった。
1850年位から1883年頃までに改築が何度か行われ、第一次世界大戦、及び第二次世界大戦の動員時に、コンクリートのシェルターが設置された。ちなみにここの動員では、兵士達は掩蔽ではない地上のバラックに寝泊りできたので、他の要塞に比べ比較的楽であったかもしれない。

要塞の構造は中心の核は村のままで、周囲に軍事機能を備えた。4つの稜堡を加え、土塁壁と濠でぐるりと囲む。土塁壁の内側には砲座が控えた。
また北東の土塁壁の中には幾つかのリマイズも埋め込まれた。
有刺鉄線が無い時代は、トゲのある樹木が変わりに植えられた。樹木は有刺鉄線の役割と共に、余分な分は薪にもなった。これもまたオランダ式合理的発想である。
咽喉部にある防弾の哨舎はリディットの役目も果たした。
敵が接近することを予想された北東の側面の上に、元来ラヴェランが2つあったが、鉄道路線が出来たときに廃止され濠の中に沈んだ。そしてアームスフォートやヒルバーサムへの鉄道路線の防衛が主なタスクとなった。アームスフォートには軍事基地が多数あり、グリーブラインも控えた。そしてその東はドイツへと続いていた。

面白いのは第一次世界大戦時のシェルターを、1930年代にマシンガン・バンカーとして銃眼を空けリサイクルしている所である。
また、第二次世界大戦時の動員では、戦車バリケードが出入り口付近の路上に設置される。
戦車バリケードはその形状から通称「アスパラガス」と呼ばれ、路上の差込口に突き刺すものであった。

ドイツ占領時代は倉庫要塞として使用され、1960年に軍の管轄からユトレヒト市の管轄へと移った。
現在要塞では宅地開発が進んでいる。従来の建物は、リディットがボーイスカウトの集会所、兵舎がアトリエ、バラックが会社使用となっている。
要塞村の入り口に現在もつきささる戦車バリケード、通称「アスパラガス」。
右上写真の、要塞咽喉部入口路上に専用の穴が列になって空いており、必要に応じて突き刺していた。

哨舎、後にリディットも含む。現在はボーイスカウトの集会所。

リディットの隣にはシェルター。
ボーイスカウト達がはしゃぎまわる。
ビーム・ストレージ。洪水の際の浸水止めの材木用倉庫。
浸水地域になった為。現在はオフィス。
兵舎。これも現在はオフィス
掩蔽兵舎。弾薬庫でもあった。
黒色火薬時代のもので榴弾用ではない
現在はアトリエ
かつてラベランがあった場所(濠)
土塁壁に埋め込まれたリマイズ リマイズ内部。防水構造。現在は家畜小屋。
このリマイズは、、自然保護動物のコウモリ様達の冬眠の為にキープしてある。
土塁壁に埋め込まれてるシェルター

マシンガン・バンカー(2つある)。見かけが第一次大戦タイプのシェルターなので不思議に思っていたら、最初はシェルターで、1930年代からマシンガン・バンカーとして改造されたものであった。
Next Home
直線上に配置
本ホームページの写真や本文を、管理人に無断で雑誌、個人/企業ホームページ、ブログ等へ転載したり、
商用に使用するのは禁止します。転載、参照、商用等をお考えの方は、先ずメールをお願いします。

(C)Lente 2006, mitsuffy@オランダの羊 2013