現在は平和教育記念館に
1819年から1824年の間に最初のバージョンが建設された。1879年頃まで、ユトレヒト市街とド・ビルト区を結ぶ幹線の防衛が主な目的であった。またこの幹線道路はドイツに近いアーネム方面へと続いていたため、市街に近い要塞だけに重要な地点であった。19〜20世紀の間に軍事技術の急激な発達と他国の戦況により、要塞内の施設は何度も改良された。 1930年に要塞の脇にあった幹線道路は、拡張計画により要塞の中央を貫くこととなった。そしてビルト要塞は中央道路を挟んで2つに分割された。分割された地点には元来リディットがあった。 中央を潰した代わりに、鉄筋コンクリートで出来たバンカーやシェルターが(マシンガン・バンカーとピラミッド・タイプ退避壕)が配置された。 要塞内には見事なシューティング・レンジ(狙撃演習場)がある。保存状態がいいので、冷戦時代の市民徴兵用かと思っていた。しかし話を聞いたら、、1936年バンカーが設置された頃に立てられたもので、第二次世界大戦前の動員で使用されたとのことである。ビルト要塞は市街に近いので市街戦に備えての演習に力を入れていたと思われる。 非動員時には要塞警備員だけが駐在していたが、武器はリマイズに格納されていた。 現在、演習場の半分は近所の農家の土地なのだろうか?、ヤギが草をほうばっている。ヤギのいる演習場の写真を知人に見せたら「ヤギを狙撃の的にして演習するのか?」と言われた。 私が北部側の敷地内をうろうろ歩き回っていたら「ハロー」と、管理人らしき男性が挨拶してきた。 私が「オランダの水の防衛線に興味があるんです。それで色々な砦を見て写真を取っています。オランダのこのアイディアは実にユニークで、世界のどこにもないシステムだ」と説明した。 管理人さんが「うんうん。これはオランダ独特のシステムなんだ」と、色々説明してくれた。 「このようなものに興味を持っている人をあまり見たこと無い。日本のウェブページを検索しても情報がない」と、私。 「これらの水の防衛線はアクティブな時は軍事機密であった。使用されなくなってから公開された。 昔から語り継がれていた由緒ある物ではないので、知名度がいまいち低いのであろう」と管理人さん曰く。 7月現在学校が休みなので、平和教育センターもお休みとのこと。 「大人も見学できますか?」と聞いたら、「じゃあ、今開けてあげるよ。見ていくといい」と、私だけの為に記念館(もと防弾バラック)を空けてくれた。うう、いい人だ。 平和の意味を説明したり、世界で起こった紛争の犠牲者のこと、第二次大戦の生き残りの人々のインタビューなどが子供用に展示されていた。 「展示室は兵士のベッドルームだった。」 「これは飲み水用の井戸。上から雨水を集めてここに来る」 「もともとバラックの中の壁は全部白く塗ってあった」と、おじさんが丁寧に説明してくれた。 このような所で働くオランダ人は、専門知識に誇りを持って働いてる人をよく見かける。 熱心に質問すれば、目を輝かせながら本当に丁寧に答えてくれる。ささやかな博物館や美術館はアットホームな楽しみが有る。 次のページではナチスの痕跡について説明する。
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